ごきげんよう、紅月です。
移動中に読むはずだった本をじっくりと腰を据えて読んでしまい、ほかのことに手がついていません。
その本で出てきた言葉で思い出したことがあります。
以前、若い上司がこんなことを言っていました。
「自分がこの場所にいたという爪痕を残したい」と。
この会社で、もしくはこの土地で、生きた証を立てたいということでしょう。
元恋人もある意味で同じようなことを言っていました。
誰しもが知る名前として記録に残りたいというようなことを、違う言葉で。
小説などの中で「爪痕を残す」という言葉を見ると上司の言葉を思い出します。
しかし、”爪痕”という言葉に、わたしは苦しさを感じるのです。
人の記憶と心に残ることを、爪痕を残すというのは少々”乱暴”だと感じるでしょう。
”爪痕”と言えば、しがみついて、指先に力を込めて、ありったけ引っ掻いた痕跡を思い浮かべるのが自然でしょう。
それでも、みんな”爪痕”を残したいのかとわたしは考えてしまうのです。
わたしは上司の言葉に上司らしさ、つまり自分と違う考えの人間だという匂いを感じ取り、それは今でもわたしの実感とは程遠い表現だと思っています。