ごきげんよう、紅月です。
パッとニコレポ確認したら生放送開始直前でした。
そこから買い物も行けなくなりずっと画面の前に釘付けです。
ニコニコやニュースアプリなどにはコラムなども多く含まれます。
そういうものを見ながら最近考えること、それは自分が中途半端で人生のモデルがなくなったということです。
陶酔に近い吐露もありますから軽く流すか、できない方はバック推奨です。
たとえば、結婚・子育てをするのが幸せとか、逆に独身でいる自由とかの話。
むやみに結婚を勧めるのはやめて欲しいという声が公に聞こえるようになってだいぶ経つと思いますが、「結婚は正義」がまだまだ幅を利かせているのか、トピックとして目立つことは多いです。
一人は哀れでも愚かでもないというのはよくわかります。
でも、わたしはこういう記事を複雑な気持ちで読みます。
逆の話は一般的に私的な場面でしか出て来ないという違和感もありますが、今回触れるのはわたしがどっちつかずであるということです。
わたしは今の状況からでは将来自分が結婚している図が想像できません。
しかし、わたしはたぶん人のためにしか動けないので、結婚願望は強いのです。
こんなことになるなら、いっそ一人で楽しいと思える人間でありたかったと思います。
そういうわけで、この話題でわたしはどちらにも全面的に肩入れはできないと考えてしまいます。
また、脱オタファッションなどの話題。
要はオタクに見られたくないから人並みにお洒落ができるようになりたい!という話。
こういう場では一般人とオタクという区分が意識されるでしょう。
わたしはたぶん意識の上でも世間的に見てもオタクではないはずです。
しかし、単純に大別しただけとは言っても、そこで語られる一般人と自分の乖離に不安になります。
ファッションを縦軸で捉えるのはよろしくないと思いますが、トピックで目指しているのはたいてい(そこそこ一般ラインにいると思っている)わたしの2段ほど上な気がするのです。
そのくらいまでいかないと人権は無いんですかと言いたいです。
わたしは目の前に可愛い服があれば着たいと思いはしますが、お洒落に時間や労力を掛ける気にはまったくと言っていいほどなりません。
本当にギリギリのラインで良いのです。
世間の特に女性にとってどの程度のことが最低ラインなのか、脱オタに限らずファッションに疎い人向けだろう記事を読む目的はそこなのに、全然目的が果たされません。
ほかのことに意識を半分持っていかれながら書いたので、今回は文章がぶつ切りですが、思っていたことを吐き出させてもらいました。
本当のところ、どんな方面もふつう二元論ではないので、上のどちらもわたしの八つ当たり的なものだと思っています。
けれど、わかりやすい二元論以外の声は埋もれやすくてうまく拾って来れず、一人勝手にもやもやしているという話でした。
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