2017/09/30

役割逆転親子

ごきげんよう、紅月です。
「ごめんなさい」を言うべきと思われる状況を連続で作ることに気が引けて、言うべきことが言えなかったために不安で眠れなくなりました。

出だしから病み度MAXですが、久々に面白くもない方面の話題を。



ダ・ヴィンチニュースに加藤諦三氏の「子どもにしがみつく心理 大人になれない親たち」という本が紹介されていました。
見ると、「母という病」という書籍で書かれていたのと似た内容のようで、親が愛情を受けずに育ったために子どもに母なるものを求める状態に触れています。

著者は、親子の役割逆転を解決する方法を「離れること」としているそうです。
そのためには、子どもが本当に好きな人を見つけなければならないと。

わたしは自分を「惚れっぽい」と表現しますが、一人を好きになるとほかの人にはなかなかなびきませんでした。
このように割と一途だったのは、無意識に「本当に好きな人」を求め親から離れようとしていたのだと思います。
大学時代後半に見つけた人とは、だからこそどうしても離れてはならないという意識が働いたのでしょう。
しかし、最終的に別れることになり、わたしは繋いでいた手を全部離されたようになったのです。
親から手を離そうとし彼に手を伸ばした矢先、彼がいなくなり何も掴めずにバランスを崩した。

都合の良い解釈かもしれませんが、そう考えるとわたしの過去の引きこもりはある意味で必然だったのかもと思えます。
ネット掲示板で見かける毒親ほど、自分の親がひどいと思ったことはありませんし、洗脳かもと疑ってもやはり程度は軽いと思います。
それこそが洗脳の結果であるという考え方もできますが、本当にはたから見ても毒親の程度が低ければただわたしが弱かっただけで、今しているのは責任転嫁でしかないでしょう。
しかし、そんなことを考える内は、たとえ責任転嫁であろうとなかろうと、この段階から抜け出すことはできません。
親が、彼氏が悪かったのだ、わたしが引きこもったのは仕方がなかったのだ…、ならば今どうするかに目を向けられるのは、そこを自分の中で決定してからだと思うのです。
だから、似たような記事に出会う度に同じ確認をしていますが、それも次に進むための糧だと考えています。

0 件のコメント:

コメントを投稿