2020/07/15

みっともない自分

ごきげんよう、紅月です。
料理をしたいとか、溢れていくモノを捨てたいとか、生活の質を上げたいこの頃です。

生活に張り合いが出る一方で、これが下向きに向かった時、わたしはどうなるのだろうと考えた話です。





恋人に「今日怪我したのよね」とか「実はイライラしてたんだ」とか、そういうことを伝えることがあります。

でも、わたしがそう言うのは、笑って話せる程度のことがほとんどで、あまり深刻なことはまだ言ったことがほとんどありません。

実際、本当につらいことはなかなか言葉にすることができないものでしょう。

ただ、わたしの場合、それだけではないと思います。

わたしは、ある時期から自分で自分の道を選び歩んできたと自負しています。

”強い”や”明るい”ということが、自分のアイデンティティなのです。

おかげで落ち込んでいる自分を人に見せることには並ならぬ抵抗があります。

それは恋人相手でも同じですが、少しだけ違う部分もあるのです。

へこんでいる自分を、わたしは自分でなかなか認められないけれど、その”わたしすら知らない自分”の存在を人には気づいて欲しくない一方、恋人には気づいて欲しいとも期待してしまうのです。

基本的には気付いて欲しくない、でも気づかれないとさらに悲しくなる。

気づいてもらえたならきっとすべてを打ち明けるのに、と。

面倒な話であるのはわかっています。

しかし、人というのは誰しもそういうものではないでしょうか。

自分から弱みは見せないけれど、気に入っている人から弱みに気づかれれば嬉しくなり、好意が増すのです。

本当の自分をわかってくれるのだと錯覚して。

これはメンタリストが紹介する心理テクニックに近いものでしょう。

恋人にそんなことを前もって期待することは間違っていますが、それでもわたしは「もしかしたら」と思ってしまいます。

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