ごきげんよう、紅月です。
こくしぼりの華やぎ苺と生原酒で晩酌中。
経歴的には日本酒や焼酎と縁がありますが、普段はウイスキーやワインなどもっぱら洋酒派です。
突然ですが、オリジナルの言語を創ったり口にすることはありますか?
これにYESと答える人はどれほどいるのでしょうか。
創作勢の方ならあるいは…という程度かも。
というわけで、今回はわたしの独自言語事情(?)をお話しします。
わたしは幼いころから言葉への関心が強く、文字を覚える前に紅月語(便宜上ハンドルネームを用いています)をいろいろなところに書き散らしていました。
もちろん規則性はなく、当時何か意味のある文章を想定して書いていたかどうかも覚えていません。
完全にアドリブでした。
その後、文字を覚えると、書き言葉としての紅月語は消滅しました。
日本語はたいてい理解できるようになったころ、次なる壁として英語がありました。
日常的に洋楽が流れ洋画を鑑賞する家庭だったため、英語は身近ではあるが意味が理解できないものでした。
話し言葉としての紅月語が生まれたのはおそらくこのタイミングだったはずです。
これも完全にアドリブで、英語の発音の特徴を強く取り込んだ言語になりました。
紅月語の特徴は、イタリア訛の英語に似ていたことと、やたらとpを使用していたことです。
ほかにgrやptbの並びが目立ちました。
わたしはこれを、一人でトイレにいるのが怖いときと眠る前の儀式(寝付きはあまりよくなかったので、色々なキャラクタと共に敵と戦うという状況を布団の中で動きながら妄想していました。一度気を失うという演技をしている内に眠ることが多かったです)でよく口にしていました。
文章として声に出す場合と、紅月語で歌う場合がありました。
年齢が上がるにつれて頻度は低くなり、一時期は紅月語は消滅したと思われましたが、いつからだったかまた口走るようになりました。
ここ数日で大幅に使用している時間が増えました。
おそらくですが、思考を停止するための無意識の防衛反応でしょう。
怖いときに紅月語を喋っていると、「同じ音の羅列が続いて不自然だな、もっと色々な音を使おう」と意識がよい具合に逸れていました。
寝る前のことも、儀式と併せて寝ることから意識を逸らして入眠に至るという、ある意味で合理的なことをやっていたのです。
今は一つの事柄を深く考えないための手段として紅月語を利用しているのだと思います。
現在の紅月語は書き言葉が存在せず、話し言葉は発音の特徴がフランス語訛の英語に近いと思われます。
以前よりは少し滑らかになりました。
世の中には、本当に自分で言語を創作してしまう人もいるそうですが、何も言語的機能を持たないこんな言葉でも、わたしにとっては大事な宝物であり創作物の一つだと思っています。
共感できる人は多くはないと思いますが、もし似たような経験がある方は、それも立派な財産だと誇りを持ってください。
0 件のコメント:
コメントを投稿