2018/03/12

DQMシリーズの美点

ごきげんよう、紅月です。
しばしStarboundに熱を上げていましたが、今度は菅野よう子氏の楽曲にハマってそれを聴いてばかりなど、何をするにもすぐにほかがお留守になるのがわたしです。

まったく唐突ですが、ドラゴンクエストモンスターズシリーズで最も評価されるべき点は何でしょうか?
わたしがきちんと知るゲームはごくごくわずかですが、ここではモンスターを仲間にするシステムがある他のゲームと比べてという話で進めます。



わたしは断然、モンスターを仲間にする時のスタンスが評価されるべきだと思います。
子どものころ、初代テリーのワンダーランドと同時期にポケットモンスター金を遊んでいました。
ポケモンはゲームシステムの都合上、ねじ伏せてモンスターボールで"強制的に"仲間にする必要があります。
アニメでは自分の意志でボールに入るモンスターもいますが、サトシのピカチュウが"ボールに入らなくてもパートナー"であることがむしろモンスターボールを主従の象徴として浮き彫りにしているようにも見えます。
(ボールに入らないからこそ対等であって、入ったらその時点でパートナーとは呼べなくなるといった感じです。)

一方、テリワンにおいてはモンスターが仲間になる確率を高めるアイテムはあるものの、仲間になるかを選択するのはモンスターの側であるように描かれます。
3Dのリメイク版ではすでにスカウトシステムになって当初とは描写が違いますが、それでも名残なのか"捕まえる"のような一方的な言葉選びは極力しないようにしているとは感じます。
バトルコマンドでも、作戦として「ガンガンいこうぜ」「いろいろやろうぜ」「いのちをだいじに」と並んで「めいれいさせろ」があり、これでなければモンスターはAIに従って勝手に戦う上に野生値が高いと命令を無視することもあるなど、モンスターが自立した存在であることへの示唆があります。

これまでの話は今だからこそ考えられることですが、もしかしたら当時これらのゲームで遊んだ子どもたちの情操教育に実は一役買っていたのではないかと密かに思っています。

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